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社長挨拶

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株式会社KRMコーポレーション 代表取締役 谷真孝

現場の泥臭さを知っているからこそ、本音の提案ができます。

私は、債務超過の状態で中部電気工業株式会社の経営を引き継いでしまいました。毎月経常赤字、社員の皆さんの士気はゼロ・・・そんな現実を知ったのは、借金の保証人欄にサインをした後です。私は大改革を決行し、10年後には売上高は4.8倍増、財務状況は大幅に改善しました。

送電線工事業界の人材不足は、海外進出することで解消すると思い調査を進めると、厳しい現実を突きつけられて、当初考えていたルートから大きく外れることになりました。そして、ミャンマーの若者たちを育てる事業を立ち上げました。

当社は架空送電線工事の実績はあるものの、経営コンサルティング業務やミャンマーでの事業はまだ始まったばかりで実績がありません。本質を見極めて物事を深く掘り下げ、仲間の助けを借りながら道を切り拓いてきた私自身の生い立ちをお話して、当社がどのようなサポートを提供できるかのかお伝えしたいと思います。長文になりますがお付き合いください。

敷かれたレールの上をただ歩んでいくのではなく、新しい道を開拓するチャレンジをしてみませんか。私たちは全力であなたのサポートをさせていただきます。些細なことでも構いません。お気軽にご連絡ください。

2019年3月吉日
株式会社KRMコーポレーション
代表取締役 谷 真孝

レールを外れて「皆さん助けて!作戦」決行

家業を継ぐレールの上を進めばいい

1975年、私は架空送電線工事業を家業とする家に生まれました。祖父母、両親、叔父達、従業員の皆さんと同居をする、今でいえば社員寮のような環境で育った私は、家業を継ぐのが当たり前という認識を自他ともに持ち、私には職業選択の自由は無いと思っていました。

家業を継ぐレールの上を進めばいい

中学卒業後は家業を継ぐべく、理数系の学科がある高校に進学したのですが、「こんな計算を覚えても、現場作業員には必要ないのになぁ~」という思いを持ったまま3年間を過ごしました。「どうせ家業を継いで現場作業員になるのだから」という思いがあり、高校卒業後は大学へ進学せず、一日でも早く現場に出て働くつもりでいました。

しかし、同級生はほぼ全員大学進学を希望し、一般にも大学進学率はかなり高くなっていた社会的背景や、「大学くらいは卒業しておいたら」という周囲の意見もあり、進学するという選択肢も増えました。「就職」「夜間大学進学」「大学進学」の選択肢から、私が選んだのは「大学進学+就職」でした。「大学に通いながら、大学が休みの日は全て現場に出る」、無謀ともいえる選択です。

「やったこともないくせに!」・・・自分も同じだ!

大学生になった私はただのバイト扱いではなく、現場作業員として重機や大型自動車・クレーンの免許も取得し、鉄塔上での高所作業も地下10m以上での掘削作業も任され、大学生活4年間の約半分以上を現場で過ごしました。私にとって現場で働くことは楽しくもあり、自分自身の成長を感じられる時間。その成長は、時に私を傲慢にさせたのかもしれません。

大学生なのか作業員なのかわからないような生活をする中で、現場作業員としてしか社会を知らないのに、社会の全てを知ったつもりでいた私は、世の中を斜に構えて見ていました。施工管理をする元請会社やお客さんである電力会社の社員の方々に対する私の思いは反抗的で、「お前ら、上から目線で文句ばっかり言って、そんなに偉そうに言うならお前らやってみろよ。やったことも無いくせに!」・・・今思えば、浅はかな考えでした。

ある時、その言葉をそのまま自分に向けると、自分も施工管理やお客さんの立場から現場を見たり物事を考えたりしたことがないのに気づきました。まずは何事も経験し、元請会社の社員になって現場を見直そうと思い、大学卒業後は施工管理会社へ就職する事に決めました。家業を継ぐ進路しか見えていなかった私に、職業の選択は自由にできることを気づかせてくれた瞬間でした。

「皆さん助けて!作戦」で問題を解決

大学卒業後は、施工管理を行う元請け会社の住友電設株式会社に就職し、施工管理者見習いとして現場で働き始めました。大学に通いながら現場で働いていたため、同期よりも仕事の進み具合は早く、上司や先輩から信頼されて施工管理の仕事も任されるようになりました。

私は先輩と違った現場の見方をしていました。そこで、私と同じ考えを持つ作業員さんたちを巻き込んで現場を変えようと決めました。名付けて「皆さん助けて!作戦」です。

自分一人ではできることは限られます。周りにいる人たちの力を借りて、自分の味方になってもらえれば、新しい道を開拓するための知恵もたくさん出てきます。作業員さんに指図するのではなく、「こんな自分だからあなたの力が必要です。どうか私を助けてください」と自分の考えを伝えたところ、私を受け入れ支えてくれる心強い仲間が増えました

そして、私たちが設定する管理許容範囲の設定根拠や設計コンセプト等を、各作業班の職長さんに正面から向き合って伝えることができました。「いいからやってください」ではなく、ここでも「皆さん助けて!作戦」で乗り切り、対立することなく理解していただくことができました。

債務超過の会社を大改革

「経営状況が悪いのは社員のせい」それ、違うでしょ!?

送電線工事受注実績年度推移

私が社会人になって数年後に、架空送電線工事業界は「失われた10年」という氷河期を迎え、多くの同業者が廃業したり、当時スタートした携帯電話の基地局工事に業務内容を変えたりしました。私の就職した会社も、私が入社してから10年後にやっと後輩が入社した様な厳しい時代でした。

そんな時代背景もあり、私の家業も同じ状況になっており、「もうヤバいから帰って来て欲しい」という声と「いずれ、家業に戻ると認識されている自分がこのままこの会社にいても居場所が無いなぁ」という思いが相まみれ、社会人3年目にして家業に戻りました

家業に戻ったものの経営についても何も分からない私は、現場作業員から再スタートです。しかし、施工管理の経験を踏まえ、顧客が求めることが何となく分かってきた頃でした。携帯電話基地局の建設という架空送電線工事とは違ったフィールドが多くなってきたこともあり、徐々に私が現場の責任者として出ていく事が増えていきました。

責任者としていろいろな事が見える様になってくると、会社の経営が苦しい原因も徐々に見えて来るようになりました。父親の「ワンマン・どんぶり勘定経営が“全て”」のまさに「ファミリー企業」の象徴的な現実が起因いていることを認識しました。

それまでの架空送電線工事業界は、高度経済成長期から続く新設工事を中心とした常に右肩上がりの業界でした。例えるなら「上りのエスカレーター」です。しかし、当時の業界は新設工事が全て終了し、今後いつ工事が動くか、すら分からない、一生懸命努力してもやっと現状維持の「下りのエスカレーター」になっていました。上りのエスカレーターは立っていれば上がっていくのに、今はドンドン下がっていく状況の中、私の父は「ここまで会社を成長させてきた自分には経営能力がある。なのに、経営状況が苦しい現状になっているのは自分以外の動きが悪いからだ」と考えていました。私は、会社が苦しい状況に陥っている原因はこれだと思ったのです。

経営者としてスタート:債務超過の会社だったなんて聞いてない!

会社の経営が苦しい時期に、中部電力の元請会社の一つであった中部電気工業株式会社のオーナーから「うちの会社を買って欲しい」という話が舞い込みました。中部電気工業(株)は、現在10社に分かれている電力会社の前身会社である日本発送電株式会社に勤務していた方が、昭和23年に創業した会社です。

父は自分自身の経営能力を見込んで話があったと上機嫌でどんどん話を進め、知識がなかった私も「元請になれば儲かる!」と安易に同意しました。平成17年、買収時に代表を務めていたサラリーマン社長と「2人体制の代表取締役」となり、無知であったが故の結果から私の経営者としての人生が始まったのです。

中部電気工業(株)の代表となってしまった私が現実を知るのは、その後、間もない時でした。毎月経常赤字、社員の皆さんの士気はゼロ、現場に行かず売上もないのに「待機手当」が付くという現実を知ったのは、借金の保証人欄にサインをした後。債務超過の状態で経営を引き継いでしまったのです。

大改革決行⇒売上高は4.8倍UP!財務状況は大幅に改善

中部電気工業(株)売上高の推移

破産しないためには、大改革を決行するしかありません。私の中では「家業」ではなく「企業」としてあるべきだという気持ちが強くなっていました。攻める経営を皆に示し、給与体系、顧客先、とにかく何から何まで変えると宣言。生産性が非常に低い下請け業務を行っており、自社の強みであった電力会社の請負指定業者という地位を活かせずにいたため、主な事業を下請け業務から現在行っている電力会社からの直請負に業態を変化させました。

その結果、半年以内に約半数の社員が退職し、現在に至るまで残っている社員は1名のみ。幸い、過去に一緒に仕事に従事した方々からの協力を得ることができ、経営は徐々に軌道に乗ってきました。

中部電気工業(株)は大改革により、私が代表取締役に就任した平成17年度の1億円だった売上は10年後に4億8,000万円になり、財務状況は大幅に改善しました。

新たなレールを敷くための開拓

良い結果が出せなくても、それが誰かの成功に繋がればよし

私が代表に就任してから約7年後、ある程度経営も軌道に乗りつつある時期に、当社の請負工事で、作業員さんが誤って超高圧送電線に接触してしまい感電災害を発生させてしまいました。幸いにして被災者の方は一命を取り留め、その後懸命のリハビリの結果、現場に復帰することができました。一刻の猶予も許されない状況の被災者とそのご家族の様子を目の当たりにしたその時の事は忘れられません。私は、表面的な言葉ではなく心から「仲間の命を預かる仕事」をしていることを痛感したのです。

私はこの経験を通して、「仲間の命を預かっている自分の、生きている価値って何だろう」という思いを抱きました。それまでの人生において、自分の生きている価値など考えた事もなかった私にとって、すぐに出せる答えではありませんでした。

その結果が出た時は、すでに2年余りの時間が経過していました。私の出した「自分の生きている価値」の示し方は、「自分が正しいと判断したことは、過去に先人達が実践していない事であってもトライする」であると決めました。もし、その選択の結果よい成果が残せたら、それは後世に対し新たな選択を示すことが出来るし、私の選択によって成果を残すことが出来なくても、後世がその選択をせずに済むことが出来れば、全体から見ればプラスになるのではないかと。そんな生き方が出来れば、私自身の生きている価値が生まれるのではないかと。そして何より日々現場の最前線で活躍する私の仲間達に示しが付けられるのではないかと。その日から私は、「何も考えずにただ先人たちの造った道を進むのは止めよう」と誓ったのです。

そんな決意をしたことで、今までと違った社会が見えてきました。そして、自分達のいる電力業界の常識は、本当に他から見ても常識なのだろうかという疑問が強くなりました。2011年に発生した東日本大震災をきっかけに、電力会社を筆頭とした業界構造は大きく変化しました。しかし電力業界しか知らない我々にとって、今までの業界構造が我々にとっての「常識」になっていました。世間では全く「通用しない常識」であったにも関わらず。

私は、業界外での活動の場を持たないとこれからの社会変化に通用出来ないと確信し、他の業界を全く知らない私に何が出来るのかを考えました。そして、経営者としての泥臭い経験が他の中小企業経営者さんに活かしてもらえるのではないかと気づき、経営コンサルタントに関する唯一の国家資格である「中小企業診断士」試験への挑戦を始めました

同じ経営者として実戦を共に駆け抜ける中小企業診断士になる

2年間の人生至上、最も勉強した受験生活と半年間の診断実習生活を通して、自分が今までやってきた直感や場当たり的な素人経営の危うさを痛感すると共に、同じ境遇にある中小企業経営者にとって、現場の最前線である実戦の場を経験している者による「泥臭いが、客観的な視点も兼ね備えた実戦伴走型支援」が必要だという確信を持ち、俄然やる気があふれていきました。

いろいろなハードルを乗り越えて、「中小企業診断士」としてようやく新たな挑戦をスタートさせ、「安全地帯から声援を送る支援」ではなく、「実戦を共に駆け抜ける中小企業支援」をしていこうと決意しました。

中小企業診断士となり、客観的な見地から物事を分析できるようになれたことで、多種多様な業種・業態の実状を知り得ました。そして今一度、自分が育った架空送電線工事業界を見つめ直すと、このままでは電力の安定供給を担い続けられないという衝撃的な事実に気づきました。

それまでも危機感は持っていましたが、なぜ危機的状況であるのかについての根拠は持っていませんでした。しかしながら、客観的な見地から既存の業界構造や今後の市場状況を分析すると、今のままの仕組みや取り組みを続けていくだけでは「電力の供給支障」が必ず発生し、社会に多大な影響を及ぼしてしまうと断言できるまでになりました。

人手不足を嘆いていても始まらない

今のままでは「電力の供給支障」は必ず発生する!


約20年間以上もの間、大規模新設工事の件数が低迷していた為、技術者としての基本技術を修得していく環境が大幅に欠如していたことで、基本技術をベースとした高度な技術者を育成する環境が乏しく、大型新設工事を経験してきた技術者の多くが残り数年で現役引退を迎えてしまうという事実を認識しました。つまり、より電力の安定供給を求められる現代社会の中で、高度経済成長期に同時期に建設された多くのインフラは同時期に設備耐用年数を迎えるが、技術者の絶対数も技術レベルも育成環境も全く足りていない状況だったのです。

具体的な数値で示すと、全国の架空送電線鉄塔は約25万基、電線亘長は9万キロあります。このうち、建設後50年以上経過している鉄塔は約8万基、それを担う高所作業者は約5,500人、管理技術者4,000人しかいません。高所作業者1人で担うインフラは、鉄塔約45基と電線約16㎞。この数量の設備をたった一人で、建設から保守メンテナンスまで担わなければいけないのが現実なのです。恐らく業界関係者以外の方から見れば「なぜ社会の根幹を支える電力インフラを担う体制がこんな状況なの?」「しっかりとした体制や人材育成をしなければ!」と思われるのではないでしょうか。

しかしながら、一方で「より安価で」「より快適な生活」を優先したいというのも事実であり、「電気料金の値上げ」や「停電」は受け入れがたいのも事実であると思うのです。そういった「出来ない理由」や「やらない理由」を私たちの業界は並べてきたからこそ、現在の様な状況に至ってしまったのだと私自身も電力業界の一員として反省をしました。

架空送電線工事における架線・組立工事の若手技術者集団構想

工事部長(28歳:経験年数13年)に仕事を教えてもらう新入社員(21歳:入社2か月)。

長期的目線で考えると、若い優秀な技術者は必要とされます。特に現場の最前線で活躍する職人集団の存在は、年々重要性を増しています。現場の最前線では、各個人の持つ経験やノウハウ・直感が活きていきます。現代が、情報化社会・IOT社会となった今でも、最後は人による判断が求められるのです。

そのような背景もあり、株式会社KRMコーポレーションで、架空送電線工事の架線・組立工事施工班を創設しました。よく聞かれるご質問なので、社名の由来を少しご説明します。社名を決める時にいろいろ悩みましたが、「中部電気工業」の様に業界を特定しまう様な社名は避けたいと考えた結果、私の3人の子どもの名前の頭文字から「KRM」としました。

5年後、10年後を見据えた体制をとるために、当時27歳であった人材を責任者とした若手集団を形成することにしました。その後、20~21歳の社員も加わり、一丸となって意欲的に頑張っています。今はまだまだヨチヨチ歩きですが、彼らは将来必ず全国トップレベルの技術者集団になり、社内外から憧れられる存在になっていく事によって、架空送電線工事業界の底上げにつながっていくと信じ、挑戦を続けて参ります。

日本では限界があるのなら、ミャンマーへ行こう!

ミャンマーの若者と進めるプロジェクト

黄金の寺院「シュエダゴン・パゴダ」
私1人では何も出来ないから何もしないのではなく、私たちだけでも「出来る根拠」や「やる根拠」を打ち立てて実践していこうと取り組みを始めた一つが、ミャンマーへの海外展開です。

国内では架空送電線設備の新設工事が少なくなってしまったので、若手技術者が新設工事を経験できる場を確保したい。日本国内の技術者絶対数および経験不足を解消したい。日本のベテラン技術者が持つ経験やノウハウを長期的に継承させていける環境と、若手技術者を生み出すこと等を考慮した結果、海外でも比較的近郊であり、社会的背景からインフラ整備が滞っているミャンマーを進出国と決め、調査を開始しました。

現地調査を始めると、これから発展していく国であることは肌に染みて理解でき、「ラストフロンティア ミャンマー」と言われることに納得しました。高ぶる気持ちを抑えながら調査を進め、冷静になってその結果を見てみると、当社の規模や実績では、ミャンマーに進出しても体力が持たずに撤退せざるを得なくなる事は容易に想定できました。

しかし、「出来ない理由」や「やらない理由」は言わないと決めたことと、現地を常に把握しておかないと、いつ動き出すか全く分からない状況であり、本格展開のタイミングを逃せば当社の様な企業が後発で進出しても存在価値が無いことを踏まえ、「今の段階での進出をするが、いつ本格化するか分からない状況でも活動を続けられる状況」を作りださなくてはならないと判断しました。

架空送電線工事については、現地での直接請負工事受注での手法ではなく、間接的に関わりつつ、日本で機会が少なくなった若手技術者の架空送電線設備の新設工事経験の場を確保し、日本国内技術者の絶対数および経験不足を解消し、日本のベテラン技術者が持つ経験やノウハウを長期的に継承させていく仕組みを構築することとしました。

ミャンマー人は主体性がないって本当?

ミャンマーの最大の魅力であり、かつ私たちと同じ日本の中小企業にとっても最大の魅力となるであろうミャンマーの若い優秀な人材の育成に関する事業を展開していく事にしました。

ミャンマーでよく聞かれる話に「ミャンマーの優秀と言われているトップの大学を卒業しても、暗記や指示されたことは出来ても、自分達で考えたり提案したりする創造力はあまり持っていないから、優秀ではないよ」という意見でした。実際にミャンマーの若者たちと接してみると、そう感じることが多かったのですが、私はその評価に違和感を覚えました。

「本当に優秀でないから創造力が乏しいのだろうか」「長きに渡る軍事政権下での社会環境が創造させることを制約してきた」からだけではないかという仮説を立てました。その仮説を元にすると、「トップの若者達が互いに感化しあいながら、答えの無い答えを生み出す経験を積む環境を与えられれば、元々高い素養や自頭力を持っている若者達は私たちの想像を絶する高い創造や成果を生み出すのではないか」という結論に至りました。

「経験を積んだ学生を採用して、新たな付加価値の創造をしてく日本の中小企業との縁を繋ぐことが出来れば、その成果は無限大になるのではないか」とワクワクしながら、ミャンマーにおける人材育成事業も2019年より本格的にスタートしています。

KRM CHUBU Myanmar

声援だけでなく実戦伴走型の支援を

このようにがむしゃらに走り続けてきた半生を過ごしてきた私ですが、最近確信していることがあります。「夢は“夢”で終わらさなければ、必ず実現できる」という事です。「出来ない理由」や「やらない理由」ではなく「出来る根拠」や「やる根拠」を掲げ挑戦する。物事の本質をしっかり把握し、まわりの人たちに感謝して邁進していけば、「“夢”は必ず“実現”できる」と信じています。

あなたの夢を私に教えてください。そして、その夢を実現させるためのお手伝いを、私にさせてください。経営者としての私の経験がお役に立てるよう、あなたと共に伴走いたします。

株式会社KRMコーポレーション
代表取締役 谷 真孝

谷 真孝 プロフィール

【 プロフィール 】
1998年 住友電設株式会社 入社
2005年 岐阜青年会議所 入会
    中部電気工業株式会社 代表取締役に就任
2010年 株式会社KRMコーポレーション設立、代表取締役に就任
2016年 中小企業診断士 登録

【 所属団体 】
岐阜県中小企業診断士協会
岐阜県産業経済振興センター 登録アドバイザー
中小企業庁ミラサポ 登録専門家